「なまえ。」



玄関を出ると、塀に背を凭れて立っていた三輪が静かになまえの名を呼んだ。おはよう、となまえが言えば、彼も同じように挨拶する。チュンチュンと小鳥の囀りが聞こえる、とても穏やかな朝だった。

玄関の鍵をかけるなまえを見つめながら、三輪は昨日の防衛任務で起こった奇妙な出来事について考えていた。


ーー昨日の夕方頃、警戒区域内で門が発生したという連絡が入り、防衛任務に就いていた三輪隊は直ちに現場へと向かった。しかし、彼らが現着したときには既に大型近界民は撃破された後だった。
その木っ端微塵となった残骸を見て、彼らは恐らくA級隊員の仕業だろうと予想を立てた。しかし、データを確認したオペレーターの月見は『先着した部隊はいない』と言う。
それはどう考えてもおかしい。怪しんだ三輪が解析班に詳しく調べてもらったところ、その場からボーダーのものではないトリガーの反応が検出された。


ボーダーのものではないとなると、恐らくそのトリガーは……。その結果を導き出した三輪は、眉間に深い皺を寄せた。

半歩前を歩き出したなまえが、眠たそうに欠伸をこらす。警戒区域をよく徘徊している彼女なら、もしかしたら怪しい人物を見ているかもしれない。三輪は唐突に彼女に尋ねた。



「おまえ、昨日の放課後はどこにいた?警戒区域には立ち入らなかっただろうな。」

「……昨日?昨日は後輩たちとハンバーガーを食べに行ったわ。」

「後輩?……そうか。それならいいんだ。今日も警戒区域には近づくなよ。」

「………。」

「近づくなよ。」



強く念を押すも、彼女からの返事はなかった。

大型近界民を倒した人物の情報を得ることはできなかったが、三輪はそれでも良しといった様子で、むしろどこかほっとしたような表情を浮かべる。
大規模侵攻でたくさんの友人を失って以来、なまえは人との付き合いを避けるようになっていた。だから、彼女にも一緒にファーストフード店に寄れるほど仲の良い後輩がいたことを知り、少しだけ安心したのだ。

二人は長い付き合いではあるが、異性であるためか、今までお互いの交友関係などにはあまり干渉してこなかった(なまえが米屋を名前と顔くらいしか知らないのは、それが理由である)。
その後輩がどんな奴で、どこでどう知り合ったのか気になりはしたものの、人の交友関係を詮索するのも良くないだろう、と今回も三輪は彼女から何かを聞いたりすることはなかった。



その“後輩”が彼の仇敵であることも知らないで。


彼女が心を開けるような人がもっと増えればいい。そうすれば、きっと彼女も『もっと生きたい』と願うようになるはずだ。そう彼は信じていた。





死にたがりな幼馴染05





「………。」


「おれはゲートの向こうの世界から来た、おまえらが言うとこの“近界民”ってやつだ。」

「むこうの世界にもいろんなやつがいる。こっちにだって、日本以外にもいろんな国があるんだろ?おれは確かに近界民だけど、むやみに人を殺そうとは思わない。」



「オサムとナマエがおれに日本のこと教えてくれよ。日本のことがもっとわかれば、おれはもっとうまくやれるかもしれないだろ?」



「……フッ、近界民の面倒をみる?私が?」



ありえない、となまえは鼻で笑う。自分の家族は、友人達は、近界民に殺されたのだ。例え彼が悪い近界民でないとしても、自分にとって仇敵である近界民に、誰が力を貸してやるものか。


あの後、公衆の前で札束を出したり、カツアゲしようとしてきた男の骨を折って慰謝料を渡したり、思い切り車に轢かれたのにケロリとしている空閑を見て、やっぱり近界民ってろくなやつじゃない、となまえは再認識した。
……それでも、空閑が悪い人のようには思えないのが悩ましい。今朝だって、三輪に近界民と接触したことを話せなかったのは、あの呑気な近界民に絆されてしまったからだろう。
人の姿をしているというのはなかなかに厄介ね、となまえは苦虫を噛み潰したような顔をした。


今朝、三輪にあれだけ注意されたにも関わらず、なまえの足先は警戒区域へと向けられている。空閑には断られてしまったけれど、なまえの目的はいずれも変わらなかった。


“近界民に殺されたい”。

ただ、それ一つなのだ。




ヴゥーーーー…


「!?」


《緊急警報、緊急警報》

ゲートが市街地に発生します。市民の皆様は直ちに避難してください。繰り返しますーー》


「なっ、なに……あれ…」



辺りに鳴り響く警報音。ばっと空を見上げれば、そこには市街地には開かないはずのゲートから、魚のような形状をした巨大なトリオン兵が空を泳ぐように現れた。人々が愕然と息を呑み込む。あんなトリオン兵、今まで見たことがなかった。

そうして、恐らく小学校の大きさくらいはあるその魚のトリオン兵は、上空を緩やかに泳ぎながら、“何か”を地表に投下した。



ド ド ド ド ド ド ド ド ッッ



「ヒィッ、爆弾だぁ!!!」

「に、逃げろ…!」

「いやあああああ!!」

「誰か!!助けてくれ!!」



「そんな…。」



逃げ惑う人々の悲鳴が耳をつんざく。魚の近界民の爆撃によって、建物は次々と破壊され、街は一瞬であの地獄絵図へと成り変わった。

戦慄でガチガチと歯がぶつかり合う。なまえは逃げることも、悲鳴を上げることもせず、ただ目の前で壊れていく世界を見つめていた。
そこにいる全ての人が死の恐怖に脅えている。それは“あの日”見た光景とよく似ていて、刺すような顫動が彼女の背中をかけめぐった。痛い。苦しい。こわい。どうして、いやだ、今のーー



今の爆撃で一体何人の命が奪われた?



「ーーーッ!!」



なまえは地面に膝をつく。「おい、あんた大丈夫か!?」「早く逃げなさい!」そう声をかけていく人達に何も返さず、なまえはただじっと地面を見つめていた。


自分が死ぬのは別に怖くなかった。
でも、誰かが死ぬのはとても怖い。


もう、なにも見たくなかった。なにも聞きたくなかった。なまえは両手で耳を塞ぎ、イヤイヤと首を振る。それでも、あの地獄絵図は目に焼き付いて離れてくれない。瞑った目からポロポロと涙が溢れ、地面に黒いシミを作っていった。



「うっ、ああ……誰か、お願い……助けて…。っお、かあさ、おとうさん……しゅ、じ…!」



そのときだった。



「ママー!ママー!!」

「っ、」



激しい爆撃音が轟く中、近くから女の子の痛々しい泣き声を聞いた気がした。
ゆっくりと顔を上げれば、そこには泣きながら母親を呼ぶ女の子と、飛んできた瓦礫に出口を塞がれ、建物から出られなくなっている、その子の母親の姿があった。
母親は、瓦礫と出口の僅かな隙間から顔を出し、「ママは大丈夫だから、早く逃げなさい!」と娘に言いつける。けれど、彼女は言うことを聞かず、ブンブンと首を振るだけだった。



「!そこのあなた、お願い。この子を地下堂シェルターまで連れていってあげて…!」

「え…、」



なまえと目があったその母親は、涙を浮かべながら「お願いよ!!」と懇願する。その必死さに気圧されたなまえは、戸惑いながらも立ち上がり、女の子の腕を引いた。しかし、女の子は頑なにその場から動こうとしない。

近くの建物が崩壊したのか、轟音が地鳴りのように響く。この建物もいつ崩れてくるかわからない。トリオン兵の爆撃も未だに止む気配がないし、このままここに居続けるのは本当に危険だ。この子を早く避難させなければ。
なまえが引っ張る力を強めれば、女の子はズルズルと引きづられる。それでも、女の子は掴まれていない方の腕を必死に母親へと伸ばし続けた。



「っ、やだやだ……ゆーかもここにのこるのぉ…!おねえちゃん、てぇはなしてよ!うあーん!」

「こら!優花、ママの言うことをちゃんと聞きなさい!」


「やだっ!!ママがいないと、ぜったいにイヤだもん…!ずっと、ずっと、ママといっしょがいい!!」

「ーーっ」



「やだよ……行かないで!一緒にいて!!」



女の子が、あの日の自分と重なる。遠ざかっていくその背中に、必死に手を伸ばして、一人は嫌だと泣きじゃくって、それでも二人を引き止めることができなかった。人生で一番後悔している、あの瞬間。

もしも、伸ばしたその手が、彼らに届いていたのなら……



(今でもずっと一緒にいれたのかな。)



ズズンッ


「!?」

「わっ、」



今までで一番強い揺れに女の子が転びかける。真上からガラガラと音を立てて落下してくる瓦礫に気づいたなまえは、咄嗟に女の子を遠くへと突き飛ばした。

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